電子日記帳

懐古します

ブログを書く

Twitterというソーシャルネットワークサービスが普及した今日、「ブログ」という媒体がとても懐かしいものであるように感じる。それは私が腐女子と呼ばれる人種であり、個人サイトやランク、掲示板といったものに慣れ親しんできた、そういう時代を生きたオタクであるからかもしれない。


私自身、6年ほど前までブログを持っていた。いや、まだ持っている。閉鎖はしていないけれど、更新するつもりももうないブログだ。
当時中学2年生であった私がブログを開設した理由だが、とくにない。強いて言えば、画面の向こうにいる同年代の絵の上手な子と友達ごっこをしてみたかった、というくらいだろうか。とくに何か目的があって始めた訳ではなかったのだから、無理をして更新を続ける理由などなかった。
年齢が上がっていくにつれ更新率は下がっていった。理由は細かく上げていけばいくつかあるけれど、要は飽きたからだった。
そして、中二病真っ盛りであった自分が書いた記事があるそのページを開くのが辛くて、私のブログに新しい記事が載るということは無くなってしまったのだった。
今は管理サイトがもう削除したかもしれないし、まだ情報の海のどこかで漂っているのかもしれない。


当時、私はブログに何を書いていただろうか。正直なところほとんど思い出せない。たぶん、バトンとかやっていた気がする。絵描きへの質問バトン、100の質問、指定されたキャラの口調バトン。ひー、懐かしい。しかし、思い出せることはその程度。きっとそのくらいしか当時の私にはやることも出来ることもなかったのだ。
あらかじめ用意された質問を自分に投げかけることでしか、語れることも発信できることもなかったし、けれども誰かにあやふやで未完成な自分のことを聞いて欲しかった。人見知りで内向的だった私のことだから、余計にそういう傾向があったかもしれない。
「お前バトン回してくれるような知り合いおったんかいな」と思われるかもしれないが、そこはありがたい事に一応いた。仲の良いリアルの友人を通じてコンタクトを取り、バトンを回せる程度には仲を深めた。そして私がブログを離れていたあいだに、その方々もまたブログ、ネット離れをしたのだと思われる。
当時の皆さまのブログは、私が高校生1年の時に一度ブログを更新した時にはもうページが存在していなかった。私の方もその時の更新が最後の記事となった。お察しといった感じである。
皆さん今どうしてらっしゃるんでしょうか。ちなみにリア友とは今でも良好な関係を築いている。嬉しい、ありがたい。


以前のブログの更新が終了し、早6年。私ももう大学4年生、成人済みだ。何故またブログ書こうなどと思い至ったかというと、ここまでやってきたように140文字以上で思い出を独白できる場が欲しくなったからだ。
日記帳でも買えばいい話なのかもしれないが、それだとどうしても自分本位な言葉と文章になってしまう。誰かが読んでくれるかもしれないから、それなりの文章で。しかし、内容は自分が思い出に浸るため。未来の自分のためにブログという場を借りて、今までの自分を残していこうと思った。

いまだ人見知りで内向的であるけれど、それでも一応21年生きてきたのだ。コンビニで肉まんを買うことすら出来ないほど人見知りでコミュ障であった少女も、アップルのカスタマーサポートセンターに躊躇いなく電話をかけられるようになった。思い出話程度ならできるくらいには人生経験を積んだつもりだし、オタクとしての練度も多少上がったと思う。
人様に教えられることはないけれど、100の質問に頼らなくても自分のことを話せるようになった。

これから、ブログのネタが尽きないように生活していきたい。していけたらいいな。
あとは、せやめるときはせめて自分で閉鎖をしようね。